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ガイア・カフェへようこそ。 日常の喧騒から離れ,ちょっとだけ位相を変えてみませんか。 2010年11月から、8年ぶりにブログに戻ってきました♪この8年の心の旅を折々、綴ってまいります。


by るりら
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カテゴリ:旅( 19 )

ちょっと前の話で恐縮ですが、10月はミラクルとシンクロニシティの出会いがいろいろありました。
ブログに書くのがおいつかないくらいの勢いでいろいろなことが起こりましたが、そのひとつは「奇跡のリンゴ」の木村秋則さんとの出会いです。

木村さんは、ほとんど不可能といわれていた無農薬のリンゴづくりを見事に成功させ、そのことがNHKの番組で紹介されると瞬く間に日本中にその名が知れ渡った人です。
木村さんのリンゴ畑は、実は森のイスキアの近くにあります。

どんなミラクルが起きたかを話すと、またすごく長い話なので、すべて省略しますが、木村さんと初女さんをつなぐ役割を果たさせていただきました。
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木村さんのリンゴ畑にお邪魔したとき、一瞬にしてブータンのリンゴを思い出しました。
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8月、ブータンは、ちょうどリンゴの収穫の真っ盛りでした。
木にはたわわにリンゴが実り、リンゴの木箱を積んだトラックがインドに向かって走るのを何度も見かけました。

市場でもリンゴがたくさん売られていました。
薬を使わないというブータンのリンゴは、大きさも形も不揃いで、日本のように甘くはありませんが、その酸っぱさやナチュラルな硬さが私には妙に懐かしく感じられたのです。
ブータンから帰るときにいただいたお土産もリンゴでした。
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私のルーツは青森なので、子供のころからリンゴをたくさん食べて育ちましたから、リンゴにはひときわ想いが強いのかもしれません。

木村さんのリンゴ畑も、もうまもなく収穫を待つばかりと真っ赤な美しいリンゴでいっぱいでした。まるで絵本で見たような美しいリンゴの木に感動。
思わず、木村さんに「一緒にブータンのリンゴの木を見に行きませんか。」とお誘いしてしまいました。
木村さんは即座に、行く、とおっしゃってくださいました。
「季節はいつがいいですか?」
「リンゴの花の咲くころに行ってみたいですね。」

というわけで、次なるプロジェクトは「木村さんと歩くブータンのリンゴ畑!」です~~。
この夢が叶いますよう。

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by yukari_ta-ra | 2009-11-27 00:00 | | Comments(6)

電気のない暮らし

ブータンには、電気のない暮らしがまだあり、農家に宿泊させていただけるということで、この旅で最も楽しみにしていたのが、ファームスティでした。案内されたのはティンプーから車で5時間くらいの、ポプジカという場所です。
ポプジカには、世界に5000羽しかいないといわれるオグロヅルが、越冬のためにチベットからヒマラヤを越えて、飛来してきます。
村の人たちは、オグロヅルが電線にひっかかったり、夜が明るくなってオグロヅルの邪魔になることを心配して、あえて電気のない暮らしを選んでいます。

家のまわりには、薪がたくさん積んでありました。料理は、カマドとガスコンロと薪ストーブの併用です。
お風呂は、山からの湧水をひき、木の湯船によく焼いた石を入れるドッツオと呼ばれるものです。
これがサイコーに気持ちいいのです。水はきれいだし、湯加減がちょうど良くて。
外で男の人が石を焼き、小さな小窓から、そっと入れてくれます。湯船にはレモングラスのようなハーブが入っていました。小窓からチラチラと赤い炎が見え、ろうそくの灯りで湯船に浸かっていると、とてつもなく至福感が襲ってきました。

ブータン政府が各家庭に、小さなソーラーパネルを1枚屋根の上につけてくれたおかげで、家の中には小さな裸電球がついています。山奥のポプジカでも携帯電話は使えます。きっと携帯電話の充電もソーラーで行っていることでしょう。

標高が3000メートルくらいのポプジカの朝は遅く、みんなそんなに早起きではありません。
この地は、じゃがいもの生産地でもあり、インドや近隣諸国に出荷しているそうです。ブータンの若い人たちは皆、英語を話します。学校では英語で授業することがメインなのです。なので、コミュニケーションもそんなに大変ではありません。かつては外国人の入国を制限し、また今でも民族衣装を着ることを法で定め、伝統文化を重んじるとともに、言語は開かれたものである、というこのあり方が、この国が今、世界から注目される所以の一つなのかもしれません。

電気のない暮らし、結局自然に寄り添った暮らしであれば、不便さは感じないのですね。電気がないと不便に感じるのは、自然からかけ離れている暮らしをしている証なのだと再認識しました。
そして、貧しいから電気がないのではなく、生きとし生ける命の調和のために、利便さは追及しないブータン人の精神性に、心から感動しました。
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民家の一部がゲストハウスになっています。
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ポプジカの村
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by yukari_ta-ra | 2009-09-24 00:02 | | Comments(2)

誰かに似ていませんか。


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風に吹かれながら、美しい棚田の畦道をてくてくてくてく歩くこと20分、田んぼに注がれる水音がなんともここちよく、それだけで幸せな気持ちに。
着いたところは、子宝の寺といわれるチミ・ラカン。500年くらい前に建てられたという小さなお寺でしたが、かわいいお坊さんたちがちょうど昼食のあとで、庭で遊んでいます。
この小さな僧侶にご加持を頂き、私たちも、畦道の脇にある村のレストランへ。
そこのオーナーがこの方。誰かに似ていませんか。
私は、「星野道夫」さんかと思ってしまいました。
ブータンという国は、インドとネパールと中国に囲まれた国だというのに、顔はまるで日本人です。

ブータンの料理は、エマというトウガラシがふんだんに使われていますが、トウガラシというより、どちらかというとしし唐に近いような。とってもおいしくて、辛いものが食べられない私もはまりました。
あまりにもおいしかったので、写真をパチリ。
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食べかけで失礼。

今、ブータンはシーズンオフ。観光で訪れる人も少なくて、静かなブータンの旅です。

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チミ・ラカンの少年僧 袈裟も遊び道具
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by yukari_ta-ra | 2009-08-29 00:44 | | Comments(1)

命の弔い

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ブータンの中を走っていると、民家の近くや見晴らしのいい丘の上に、こんな白い旗がたくさん立っています。
これは、人が亡くなると立てる旗だそうです。
ブータンにはお墓がないのです。

荼毘に付されたあと、遺灰は自然の中に還されます。灰の一部を土に混ぜて、円錐のような形をしていて粘土を焼いたようなツァツァとよばれる、掌に乗るほどの小さな塊を作ります。
ツァツァは、巡礼の道の途中や、寺院のそばなどにそっと置かれています。

命は、その天命を全うすると、新しい命に生まれ変わる。
ブータンの寺院には、六道輪廻の大きな壁画が描かれています。
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プナカ・ゾンの六道輪廻
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パロ・ゾンの六道輪廻


六道輪廻図に描かれているものは、天上界、人間界、畜生界、修羅界、餓鬼界、地獄界です。
このどこの世界に生まれ変わるかは、今生きている日々の心の在り方によると教えます。

輪廻を信じる民たちにとって、今生の自分の名前や存在の痕跡を遺すことは、大したことではないのです。
むしろ大切なのは、今をいかに生き、そして来生を信じること。

そんな教えがあるからでしょう。ブータンの人たちは虫も殺さないのです。ハエや蚊も追い払うだけです。もしかしたらその蠅は誰かの生まれ変わりかもしれません。
山道を登っていた時、一匹の蠅があまりにもしつこくまとわりつくので、手拭いでパンと払ったら、見事に命中してしまい、逆にびっくりしました。日本だったら、叩かれる気配を察した蠅はさっと逃げます。でもブータンの蠅は叩かれることが少ないのでしょう。逃げるということを知らないようでした。

風にパタパタ揺れる白い旗を眺めながら、ブータン人の根底に流れる死生感を感じ、こんなふうに自然に還れることを羨ましく思えたのでした。


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パロ・ゾン
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by yukari_ta-ra | 2009-08-27 07:04 | | Comments(2)

瞑想の旅 ブータン

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ブータンに行ってきました。1週間日本を留守にしていたので、帰国するなり、溜まっている仕事に追われましたが、ようやくひと息つきました。

ブータンに憧れて15年。その想いを実現できたこと、まだ夢見ごこちです。

この国がこの時代に存在していること、それは地球にとってかけがえのない財産だと、心から思いました。

写真は棚田です。
ブータンの農作物はすべて無農薬です。生き物をむやみに殺さない仏教国ならではです。

ちょうど今は、雨季。緑が美しかった。
未だ感動冷めやらぬ。少しづつ、想いを書き綴っていきます。
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by yukari_ta-ra | 2009-08-14 22:41 | | Comments(4)

夏休みです

地球交響曲第七番の撮影はすべて無事終了し、いよいよ編集作業、そして来年の公開の準備へはいりますが、このしばしの合間をぬって、もしかしたら将来、撮影に行くかもしれない地を下見に行ってまいります。
戻りは11日なので、それまでたぶんインターネットもつながらないでしょう。
東京はいつになく、夜が涼しく、過ごしやすいので、離れるのがもったいないくらいですが。
標高の高い山へ行きます。どうぞ皆様よい夏休みをお過ごしください。
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by yukari_ta-ra | 2009-08-04 03:05 | | Comments(0)

伊勢おかげまいり

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伊勢からの帰りの車窓 日没

5月25日、グレッグ・レモンの最後の撮影およびインタビューが明治神宮にて行われたその日、アンドルー・ワイル博士は、伊勢神宮を正式参拝されました。

実は、かねてよりワイル博士を西表島で撮影したいという監督の希望がありお願いしていたところ、ワイル博士から5月に日本に行くことになったから23日から25日まで沖縄のためにスケジュールを空けてくださるというご連絡をいただきました。そのご連絡をいただいたのは、グレッグ・レモンの撮影を20日から25日までと決めた翌日だったのです。
スケジュールが全く重なってしまったのです。
ワイル博士に、26日以降の可能性をうかがいましたが、そのあとはすでに予定が詰まっているとのことでした。そんなとき、伊勢の方から、統合医療を三重県から発信したいという構想があり、ぜひともワイル博士を伊勢にお招きしたいというお話があったのです。
4月のアリゾナでの撮影のときに、伊勢からのお話をワイル博士にさせていただきました。ワイル博士は事情を理解してくださり、予定を伊勢に変えることを考える、とおっしゃってくださいました。すぐにその場から伊勢に電話をして、ワイル博士と話をすすめてくださいとお伝えしましたが、今でも、この変更のお願いをワイル博士にしたことに胸がいたくなります。
監督の想いを実現させられなかったこと、大変お忙しいワイル博士の厚意を受け止められなかったこと。
プロデューサーとして、その判断に誤りはなかったか。
グレッグの撮影とワイル博士の撮影を両立させることは本当に出来なかったのか。

今回の招聘元であるオリジンズの担当者には年頭にお会いしており、もし、ワイル博士が来日される暁には、沖縄での撮影のためスケジュールをいただきたいとのお願いもしてあったのに、です。
伊勢の方が喜んだのはいうまでもありません。

複雑な思いを抱え、私も伊勢に行きました。伊勢に着いた夕方に、突然どしゃぶりの雨が降り出し、雷まで鳴り響きました。
その雨も1時間くらいでおさまり、夜の五十鈴川は神気を湛えていました。
翌朝は6時から伊勢神宮をワイル博士そして三重県の方々とともに早朝参拝させていただきました。
雨上がりの美しい朝の光とここちよい風に包まれての参拝です。
三重県の方々たちは、なぜ私がここにいるのか、わかっていませんし、私も想いを口にできず、異質な存在として受け止められたことに心の中は余計に複雑になってしまい、参拝後、予定を繰り上げて帰京することにしました。

ワイル博士が伊勢参拝を楽しんで下さったこと、これもきっと目には見えない力によって動かされ、未来につながるなにかに違いないと信じること、そう思うことで気持ちをしゃきっと立て直す一方で、やっぱり自分自身の力不足を感じてしまう伊勢おかげまいりでした。
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by yukari_ta-ra | 2009-05-28 04:11 | | Comments(2)

早朝のジョンストン海峡

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ワイル博士のセカンドハウスがあるコルテス島はバンクーバー島沖のジョンストン海峡に浮かんでいます。
野生のオルカの観測を続けるポール・スポング博士が住むハンソン島も、同じジョンストン海峡です。
このあたりの海は、北の海ならではの魚介類が豊富で、サケもニシンもたくさんやってきます。
そのサケやニシンを追って、オルカがやってきます。
海の中には、大きなウニもいるし、子持ちコンブは、昔からこのあたりに住むファーストネイション(カナダ先住民)の常食でした。
コルテス島も、海岸にオイスターやあさりがどっさり、自生していました。
レストランらしきものがない島でのスタッフの食事の賄いをしてくれたバンクーバーチームが、このオイスターとあさりをバケツいっぱいに取ってきてくれました。そのおいしいこと!3日間の滞在はあっという間。

この写真は、コルテス島を早朝に出発し、キャンベルリバーまでウオータータクシーで帰るときに出会った光景です。
ジョンストン海峡をウオータータクシーで渡りながら、今世界は100年に一度の経済恐慌といわれ、企業も働く人々もとても大変な事態になっているけれど、20世紀型経済のあり方こそ、イリュージョンなのではないか、太陽が昇り、月が昇り、生き物たちと共生し、この大きな時間軸のなかで、生かされていることを知るだけで十分なのではないか、地球を守ろう、なんていう考え自体もおこがましい20世紀型に過ぎず、私たちは地球に守ってもらっている存在、こんなに地球は美しい、と心が震えた朝でした。
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by yukari_ta-ra | 2009-05-12 05:40 | | Comments(2)
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マウイ島を初めて訪れたのは、13年前の2月。そのときは知り合いなどもいなく、訪れてみたものの、天候も悪くてどこにも行けず、ただただ寒い思いをしただけでした。
今回、13年ぶりのハワイ島への旅を考えていた時、私たちのオフィスを訪ねてくれたのが、マウイ島で、マウイしぜんの学校という活動をしているエディさんでした。ガイアシンフォニーを見て、コンタクトしてくれたのです。
そんな出会いから、マウイ島へもまた行けることになりました!
娘は、エディさんという名前がどうしても覚えられず、ついにエビさんになってしまったエディさん。エディさん、ごめんなさい、エビさんと呼ばせていただきます。
エビさんは、海のマスターです。ダイビングのインストラクターを養成指導するかたわら、しぜんの学校でこの島を訪れる人々の、マウイの大自然に触れるお手伝いをしています。で、案内してくださった場所は、ザトウクジラの産みの家!(私が勝手に名付けました)
その海は、ザトウクジラが恋をし、赤ちゃんを産む海だったのです。
マウイ島のなかでも、少し入り江になり、波が穏やかで温かく、外敵も入ってきにくいそのスポットは、出産という一番敏感な時期を過ごすザトウクジラにとって楽園ともいえるスポットです。
そこで、ザトウクジラは毎年2月頃赤ちゃんを産み、夏になるとアラスカへ向かうのです。

13年前、ハワイ島の海岸でたまたま出会ったザトウクジラの母子、その母子の歌うララバイを偶然海で聞いてしまった私は、ずうとそのことが忘れられず、「地球交響曲第六番」でその歌声をとり上げました。

でもそのクジラさんのララバイがまた聞けるとは!
エビさんにカヤックに乗せてもらい、海に漕ぎ出すと、もうまわりはクジラだらけ。海の下にどれだけのクジラが来ていることか。気配がビンビン伝わってきます。たぶん、20頭以上はこの海にいたと思います。

でそっと海に入ると、海の中はラブラブの歌だったり、赤ちゃんの声だったり、いろいろな歌がたくさんたくさん響き渡っているのです。(音の高低から勝手に想像しています!)
以前のハワイ島での体験を上回るほどの歌のハーモニー。
岸に戻りたくなくて、4時間近く海の上にいたように思います。エビさん、感動の出会いを本当にありがとう。
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(夏にアラスカ沿岸水路のカヤックの旅を決行するというエビさんです。応援しています)

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翌朝は、ウミガメさんと海中散歩。

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このキノコ雲、なんだと思います?実はサトウキビ畑を燃やしているのだそうです。
この煙、かなり人体に悪影響を与えるらしく、マウイの環境破壊の最大の原因になっているのだそう。
どうか、これ以上、美しい地球環境を壊さないで!と悲痛な思いに包まれました。
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by yukari_ta-ra | 2009-04-08 05:48 | | Comments(2)
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見渡す限りの断崖絶壁に囲まれたワイピオ渓谷。
下から周りを見渡した時、なぜか不思議な安堵感に包まれました。
谷には、縦横無尽に渓流が流れています。
その渓流をアドベンチャーのごとく、車で渡ること数回。
川を車で渡るなんて、世界中あちこち旅したけれど、かつてなかった体験!
娘も窓を全開にして大喜び。(結構アクティブなことが好きな娘・・・)
途中、川のそばで休憩。聞こえる音は川のせせらぎと鳥の鳴き声だけ。
あまりの美しさにずうと川の流れだけを撮影してしまいました。
ハワイアンの主食であったタロイモ畑には、トンボが舞っています。
楽園!この心地よさ!懐かしさ!!初めての土地なのに、懐かしい気持ちがこみ上げてくるなんて、滅多にありません。前世の記憶?とリンクしてしまったよう。
真樹さんの案内してくれたところは、この王家の谷に住む、かつて環境保護活動家だった女性の家です。
私たちからのお土産マラサダを喜んで下さり、お茶をごちそうして下さいました。真樹さんは週に何度もこの場所を訪ねているそうです。電気はすべてソーラーを利用。最近、ここが洪水になり、いろいろなものが流されてしまったとか。でも30余年前に自分たちで建てたというこの建物は全く大丈夫。毎年網戸の網だけ張り替える程度だそう。真樹さんは、この場所でワークショップを行うそうです。
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こんな楽園のような場所に来たら、もう帰りたくなくなってしまいますよね。浦島太郎が竜宮城に行ったときの気分ってこんなんだったんだろうなあと実感。ワークショップにも興味津津。
でも、私はもう、次なる地、マウイに行かなくてはなりません。
ワイピオ渓谷での夢のような時間はあっという間にすぎ、夕方のフライト出発時間ぎりぎりにコナ空港に到着、菅原真樹さんと孝江さんたちに別れを告げ、飛行機に飛び乗ったのでした。菅原真樹さんに出会えたことに心から感謝。ありがとう、真樹さん。
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by yukari_ta-ra | 2009-03-18 03:06 | | Comments(0)