gaia*cafe まごころの種を探しに gaiacafe.exblog.jp

ガイア・カフェへようこそ。 日常の喧騒から離れ,ちょっとだけ位相を変えてみませんか。 2010年11月から、8年ぶりにブログに戻ってきました♪この8年の心の旅を折々、綴ってまいります。


by るりら
プロフィールを見る
画像一覧
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

カテゴリ:地球交響曲 ガイアシンフォニー( 25 )

来る1月24日(日)東京にて第六番の上映会があり、そこで私もトークをすることになりました。

詳細はこちらです。
私以外にも、歌手・しほりさんミニライブとヒーラー・ARATAライブセッションがあります。

今回、このトークショーの予告として、インタビュー映像がユーチューブにアップされました。
私、いつも撮る側でしたので、撮られる側のインタビュー映像は初めてで、ちょっと緊張しました。
撮影場所はオフィスのべランダです、新宿御苑の紅葉がきれいでした。
上記リンクからご覧いただけます。ライフワーク編とビジョン編があります。

開催日時:2010年1月24日(日曜日)13:00-18:00(12:30開場)

開催場所:国立オリンピック記念青少年総合センター

センター棟417(セミナーホール)

小田急線「参宮橋」駅 下車 徒歩約7分

入場料(税込):前売 3,000円 当日 3,500円
[PR]
by yukari_ta-ra | 2010-01-09 16:28 | 地球交響曲 ガイアシンフォニー | Comments(0)

皆既日食ケーキ

e0038100_21454695.jpg


皆既日食当日、偶然にも、護摩焚きにいらしていた天河神社の宮司様がお見えになり、なんと直径36.9cmの皆既日食ケーキを差し入れてくださいました。
36.9はみろくです。

e0038100_21462574.jpg


そして、同じサイズのバースデイケーキまで。こんな大きなケーキは初めて。
この日、入籍したカップルと、もうひとり、奄美で夜行貝のアクセサリーを作っているパジャさんもお誕生日、そして、奄美の田中一村さんも生誕101年とあって、みんなまとめてお祝いしました。

天河から始まり、天河で閉めていただいた地球交響曲第七番の撮影は、こうしてクランクアップをしたのでした。
[PR]
by yukari_ta-ra | 2009-07-28 22:02 | 地球交響曲 ガイアシンフォニー | Comments(4)
e0038100_5513775.jpg

e0038100_5522588.jpg

e0038100_5535761.jpg

皆既のとき、あたりは真っ暗に。明るいところは、皆既になっていないところの光。360度の夕景。
e0038100_55604.jpg


7月22日、この日のお天気を祈って下さったたくさんの方にお礼を申し上げます。
地球交響曲第七番の皆既日食の撮影は、最も地球交響曲らしい撮影になったと思います。
雲が出ていたので、ダイヤモンドリングは見られませんでしたが、ダイヤモンドリングだけが皆既の醍醐味ではないということを実感しました。

皆既になる直前、風が強くなり、(地元の人によれば、いつもの方向からくる風ではないとのこと)、その風を全身に浴びたとき、「いよいよ始まる」と心が沸き立ちました。

そして皆既。それまで見えていた太陽の光が一瞬で全く見えなくなったのです。
当たり前といえば当たり前のことですが、その瞬間、なぜか涙が溢れて溢れて。

この涙の意味が、自分でもまだよくわかりません。
そこにあるべきものがない。なくなって初めてその存在の大きさに気づくというのか、子供がお母さんを見失ってさみしくて泣く時のような、そんな涙だったように思います。
うちの娘は、暗くなったせいなのか、「怖い」といってそばから離れず、二人で寝転がって空を見上げながら、彼女の手をずうと握っていました。

今思えば、皆既日食のその瞬間は、やはり存在の根源にふれる瞬間でもあったように思います。
私が、この映画を辛くても作り続けてきた本当の理由は、このかけがえのない美しい地球を、人間のちっぽけな我欲で壊してはいけない、失ってからその存在に気づくのでは遅すぎる、きっとそんな思いが根底にあるからなのですね。
でも、そういうことも自分でも忘れていることのほうが多いです。
太陽の光が戻ってきたら、涙をとまりました。
太陽の恵み、月の恵み、大地の恵み。そして家族に、生きとし生けるすべての生命に、とうとがなし、尊尊我無。
本当に、ありがとうございます。

日食こぼれ話
その1
皆既に近づくにつれ、日食グラスでは何も見えなくなったとき、奄美のおばあは、こんなものでお天道様を眺めていました。
e0038100_5303353.jpg

沖縄黒飴のつつみ紙!
で、デジカメの前にこの包み紙をのせて写真をとると・・・
e0038100_5323487.jpg

結構、見える。おばあはすごい。(デジカメのピントは合っていないけど。)

その2
7月21日。小雨がぱらつく羽田から鹿児島乗換えで奄美大島に向けて出発。
「右側に明日の皆既日食が最も長い諏訪瀬島と悪石島がご覧になれます」との機内アナウンスで、外をみると、なんと諏訪瀬島も悪石島も、島の形そのままの厚い雲がまるで蓋をしているかのように島の上にどかんと浮かんでいる。周りにはほとんど雲がなく、キラキラした海面が見えているというのに。
機内のどこからか「あれじゃあ、無理だな」という声。本当に、船も近寄れないほどのどしゃぶりになってしまいましたね。
[PR]
by yukari_ta-ra | 2009-07-27 05:58 | 地球交響曲 ガイアシンフォニー | Comments(2)
白夜のグリーンランドから嬉しい連絡。
撮影は完璧だったそうです。氷河の間を泳ぐザトウクジラにも何回も遭遇!早く見たいです。

撮影隊は、まもなく帰国ですが、出演者の高野孝子さんはこのままグリーンランドに滞在、イギリスの青少年たちとともに、フィヨルドでの1ヶ月のキャンプ生活が始まります。

高野さんのことを少しだけ紹介します。
学生時代に国際交流の野外教育プログラムに参加したことがきっかけとなり、オースラリアやアマゾンなど、大自然の素晴らしさに気づきました。
31歳のとき、国際混成チームによる犬ぞり北極圏横断に成功、その時にはまだ世に出たばかりのインターネットを持参し、通信衛星が地平線から現れ、近付くタイミングを見計らって、現地の情報を日本の子供たちに向けて発信するということもやり遂げました。
ただでさえ、重装備の北極横断、男性陣は、インターネット発信機材には見向きもせず、そんなもん早く捨てろ、という視線を浴びながら、続けたそうです。
白クマに襲われそうになったり、様々なアクシデントを乗り越えたその体験を、ただ自分の武勇伝にするのではなく、次世代を担う子供たちに伝えたいと、自然教育プログラムを始めます。
文明の利器のないヤップの島に子供たちを連れて行ったり。高野さんのもとからはたくさんのエコリーダーが育ちました。
30代半ばで、イギリスの大学院に留学、極地の暮らしの叡智を未来へつなぐため、イヌイットやアラスカ先住民の暮らしをつぶさに見て歩きます。4年の学びを終え、帰国した高野さんは、地元である新潟で活動を再開、自然農の米づくりに自らも取り組みながら、雪中キャンプや、はたまた企業の自然環境教育の指導者になったりと、その活動の幅をグローバルに広げています。

グリーンランド出発前日に、ささやかな壮行会を行ったのですが、高野さんは「今回はパソコンなしなんです」とさばさばした声でした。
今や、情報の洪水、地球上どこにいっても同じ情報を入手できるこの時代、体で得る情報こそ生きた情報であることを確認するかのようです。

21世紀、医療と教育の分野にこそ、意識の変化が求められていると強く感じています。

本来のあるべき姿とは、進むべき道とは、そんなことをアンドルー・ワイル博士や高野さんの経験を通して、問いかけるのが「第七番」です。
[PR]
by yukari_ta-ra | 2009-07-18 07:20 | 地球交響曲 ガイアシンフォニー | Comments(2)
46年ぶりという皆既日食ですが、どうしてこんなに行きにくい場所なのでしょう。
屋久島と奄美大島の海域にあたる皆既日食のベルトが、少し北にずれていたら、九州全域で観測できたでしょうし、もう少し南にずれていたら沖縄で観測できたことでしょう。

でもそう簡単に足を踏み入れることのできない場所だからこそ、そのベルトのなかに入ろうとしている人たちみんなに、それぞれのドラマが起きているのではないでしょうか。
聖地に赴く、とはそういうことなのではないでしょうか。

日食当日に、意識のブレイクスルーが起きるのではなく、日食に行こう、と思ったところから、ブレイクスルーが始まったようです。
もし7月22日嵐になっても、飛行機が欠航になっても(あまり考えたくないですが)、この皆既日食を求める旅の途上で出会った人々、そしてこのミラクルな旅に共感してくださる方々に出会えたこと、そのことが私のブレイクスルーになりました。
今まで封印してきたもの、それは忌むべきものではなく、それこそが宝だったのですね。
嵐がきたらどうなるの、と心配するよりも、まずは一歩を踏み出す。そのことのほうがより生きる道が豊かになると実感しています。

この旅の最後に出会ったことば、それは「とうとがなし」です。

とうとがなしとは、島の言葉で、
感謝や祈りの言葉で、漢字で書くと尊尊我無と書き、
『自分への見返りなど求めず、ただただ、感謝する』
という想いが込められています



と教えていただきました。

奄美大島ではこの皆既日食に合わせて、とうとがなしというイベントが計画されています。

「島の人たちは、ずっと自然や先祖に祈り感謝しながら生きてきました。
けれども、その美しい心とそして、島を育んでくれた美しい自然が、
今静かにけれど確実に消えつつあります。
日食という素晴らしい自然現象をきっかけに、一人でも多くの人たちが
その心を思い出してほしいと思いますし、
このイベントがその手助けの一つになればと思います。」

ということで、パタゴニアの創設者イボン・シュイナードと龍村仁、そして島のばしゃ山村の奥氏と三人のトークショーが7月23日に開催されます。
当初は、イボンの対談相手はジェリー・ロペスだったのですが、サーフ大会と重なってしまい、急きょ、龍村仁に白羽の矢が向けられました。
入場料は無料です。経費は、オーガニックの日食記念Tシャツの収益から賄うそうです。グッドアイディアですね。(サイトがアップされたらお知らせします)

ミラクルな旅のお話はいったん、ここで終わります。読んでくださったことに感謝です。

とうとがなし。
e0038100_1610107.jpg

[PR]
by yukari_ta-ra | 2009-07-04 15:25 | 地球交響曲 ガイアシンフォニー | Comments(7)



思えば、地球交響曲は、いつもいつもシンクロニシティが起きていました。
見えない力に助けられてきました。

正直に告白します。私自身、今まで何度も何度も龍村仁と仕事をしたくないと思い、何度も何度も辞めたいと思いました。
この2年は、出来るだけ夫と距離を置くようにしてきました。
伊豆大島の友達のところに何度も何度も行き、自然の力に助けられ、なんとか保ってきていました。

「地球の祈り」の私の書いた章は、龍村仁への恋文です。
口からはなかなか言い出せない想いを込めました。というより、辛労で心が荒んでしまって、言葉が出なくなってしまったから、せめて文章を書く時だけは素直な気持ちになりたい、と思って書いたのです。書いていたときは、まさか本になって残るとは思っていませんでした。ある雑誌への寄稿でした。

映像の仕事はもう20年以上になります。その前は女優にスカウトされて俳優術を学んでいました。でもその頃は、「この仕事は私に本当に向いているのだろうか」と悩んでいました。
演じる側より、裏方で作り上げてゆくことのほうが性に合っていることがわかり、ビジョンを得て演出家になりました。そのときは「どうやったら、もっと良い作品が作れるのだろう」と悩んでいました。
あるとき、ふと気がついたのです。
悩みのレベルが違うことに。
向いているのかどうか、なんて悩む時ははっきり、向いていないのです。

そうか、今のこの仕事こそ天職なんだって、心の底から思いました。そう思ったときに龍村仁と出会い、地球交響曲をともにつくることになったのです。

あれから18年。
天職だと思ったけど、辛いと思うときのほうが多くて、本当に何度も何度もやめたくなったけど、その度に、ミラクルが起きて救われてきたことを、思い出しました。
結局、自分に与えられた運命から逃げずに、前を向いて歩いてゆくしかないんですね。

路傍の花に愛でられながら、ね。

有難い、って英語で言うと、「ミラクル」と同義語だって教えていただきました。
あり、がたい、から、すなわちそれは奇跡のこと、ミラクルのこと。

奄美大島でもミラクルがありました。
海辺に、主を失った子供のビーチサンダルがぽつん。
たった今、娘と「サンダルを忘れてきたね」と話したばかり。
そのサンダルは娘の足にぴったり。
こんな他愛もないミラクルですが、やっぱり有難かったです。
[PR]
by yukari_ta-ra | 2009-07-02 22:50 | 地球交響曲 ガイアシンフォニー | Comments(4)
5月29日金曜日。
諏訪瀬島への可能性が見い出せず、奄美大島での撮影の比重が大きくなったものの、こちらは6名しか申し込んでいません。もうこの時点では、ツアーの一般申込みが始まっており、阪急交通社からも人数の追加はできないといわれておりました。
それなのに、監督は、奄美大島にカメラをなんとしてでも2台持ち込みたいといいます。そのためには6名の枠を増やさなくてはなりません。そのうえ、カメラマンからテントは嫌だとか、風呂かシャワーがないと嫌だとか、注文がつきます。
確かに、宿泊はテント村しかとれていないし、ましてやレンタカーももう一杯でとれない状況で、鹿児島からフェリーで運ぶしかないのですが、そのフェリーだって予約がとれるかどうかわかりません。
何もかもがもうこれ以上、どうやっても無理難題ばかりなのです。
なのに監督がそこで「ゆかりがいかなければ、もうひとりスタッフが増やせるだろ、沖縄からのフェリーとかもあるんじゃないか」と言い放ったのです。
その瞬間、私はぶちぎれました。半端じゃなく切れました。
今まで耐えに耐えてきたことがあふれ出たのです。
龍村仁事務所設立から10年、会社の切り盛りをやってきたのは私です、子供たちを預けながら仕事をするだけでも、子供に何かあれば母親が忙しいせいではないかと言われ続け、どれだけ気を使っていることか、自分の時間をすべて無くし、会いたい友達に会うのも、いちいち許可をもらい、友達の誘いを断ることも数知れず、どれだけガイアのために時間をかけてきたことか、少し自分の時間を作っただけで「自分のことばっかり身勝手に動いている」などとあなたに嫌味をいわれても聞こえないふりをして耐えました、好きな映画もテレビドラマもあなたが嫌いだというから見られなくなり、仕事ではあなたのしりぬぐいもしてきました、被害妄想からすぐに感情的に怒鳴りまくるあなたにも我慢してきました、子供の前でタバコを吸うのも耐えてきました、エトセトラ、エトセトラ、でももう限界。
「わかりました、もう私は一切、何もやりません。奄美にも行きません!あとは全部自分でヤッテクダサイ!!!」
心は、絶縁状態。
涙があふれて、仕事になりません。
もう何があっても奄美にはいかないと心に決め、家に帰りました。正直、こんなことは初めてでしたが、どれだけこの人は私を踏み台にするのだろうと、もう本当に許せなかったです。
帰ってきた夫は弁解し謝りましたが、私から出てくる言葉は今までの憤懣ばかり。
「私がいないほうが、自分の思い描く通りにできるんでしょ、そうすればいいじゃないですか、私はもう何も一切やりませんから。」
私はいつもいつも緊張しながら仕事なんかしたくなかったのに、いつのまにか、いつもいつも龍村仁のことを気にしてばかり、本来の自分らしさが全く出せない、私は美しい自然の中で友達と助けあいながら、自然に感謝しながら祈りのなかで暮らし、時には歌をうたい、時には踊り、辛い時も祈りと感謝のなかで、そして最後は土に還る生き方をしたいのに、東京の都会のど真ん中で、映画を作るためにいつも製作費の工面の心配ばかりで心も体も擦り切れ、挙句の果て、いなくていいなんて、ひどすぎる~~!!と心が泣いてしまったのです。
夫は、「ゆかりが行かないのなら、日食の撮影はしない」とまで言いましたが、だったらなぜあんなことが言えるのか、ただのその場しのぎにしか聞こえません。

とにかく、もう何も考えられず、その週末の土日は、娘のスカートを縫い、部屋を思いっきり片付け、仕事のことは一切忘れ、時間を過ごしました。

そして、6月1日月曜日の朝、また青木さんからお電話が。今日が最終申込日です。
青木さんは役場になんとか名前が変わってもガイアシンフォニーのスタッフを入れてほしいと頼み込んでくださったそうですが、変更は一切できないといわれたとのこと。
「こちらも状況は何も変わっていません」と話し、電話を切りました。

でも、気を取り直して、とにかくもしかしたら、諏訪瀬の受付状況がまだこの先変わるかもしれないし、せっかく島民枠に入れていただいたのだからダメもとでも申し込みだけはしておこうと、スタッフの西嶋に諏訪瀬に電話をしてもらったら、
「今、十島村役場に島民枠キャンセルの連絡をしたところです、もうそれを取り消すことはできません」とのこと。
肩から力が抜けてゆきました。この半年はなんだったのかしら、と無力感がどっと押し寄せてきたその直後のことです。西表島の石垣昭子さんから電話がありました。
その一本の電話がミラクルの始まりでした。
[PR]
by yukari_ta-ra | 2009-06-29 22:13 | 地球交響曲 ガイアシンフォニー | Comments(1)
5月のGW。ずうと休みなしだったため温泉に行きたいという、夫のためにどこも満室で予約がとれない中、草津温泉にかろうじて部屋をみつけ、1泊2日のバス旅行で出かけ、あとはまた映画制作に舞い戻り。

その後まもなく来日するグレッグ・レモンの撮影のために、紀伊半島ロケハンに出かけたことはブログに前出ですが、そのロケハンの前に和歌山大学の尾久土先生の研究室をお訪ねしました。
先生は皆既日食には、皆既日食ウイルスというのがあり、そのウイルスにかかってしまうと、仕事そっちのけで皆既日食を追っかけるようになってしまう、自分もそれを知っていたので、それは老後の楽しみにするつもりだったが、日食のライブ中継の映像を手伝いをしただけでウイルスにかかってしまったと照れながらおっしゃいました。
私も皆既日食は見たことがありませんでしたが、昨年もなぜかモンゴルの皆既日食ツアーに誘われたり、まわりに皆既日食ウイルスにかかっている人がいることを思い出しました。
なので、うかつに皆既日食について触れてはいけないなと肝に銘じました。
奄美大島からの中継方法について詳しく伺いました。私たちの状況としては、宿泊先もないし機材を運ぶレンタカーもないのですが、テントなどを用意し、あとのことはまたあとで考えることにしました。

5月20日、島民枠がとれたとの連絡がありました。しかし取れたのは、19日の鹿児島発ではなく、奄美大島の名瀬港発です。万事休す。急遽決まったグリーンランドの撮影隊が帰国するのは、19日の朝。その日に鹿児島へ移動すれば鹿児島発の夜のフェリーに乗れる予定だったのですが、奄美発は無理です。
グレッグ・レモンの撮影中でもあり、次なる手が何もみつかりません。
28日になってまた諏訪瀬から連絡が。6月1日が最終申込だというのです。え~、聞いてない、もう少し考える時間がほしいのに、グリーンランドも諏訪瀬もスタッフを入れ替えることもできず、ついに青木さんからも「失礼じゃないか」とお怒りの連絡が。
本当に諏訪瀬の方に、たくさん尽力いただきながらここまできたものの、このスケジュールではどうしても無理なのです。申し訳ない、という気持ちとやるせなさで胸がつぶれそうでした。
[PR]
by yukari_ta-ra | 2009-06-28 11:43 | 地球交響曲 ガイアシンフォニー | Comments(2)
バンクーバー島のジョンストン海峡に浮かぶ小さな島、コルテス島は住んでいる人も少なく、通信網ももちろん整備されていません。泊まったコテージの部屋には電話はなく、外に公衆電話がひとつ置いてあるだけ。
携帯電話もかろうじて電波を拾える場所はありますが、常時使えるわけではないし、インターネットも、コルテスマーケットという小さなスーパーのところでしか使えません。
時差もあり、日本と連絡をとるのは至難の業でしたけど、かろうじて諏訪瀬からのメールを受け取ることができました。
島民枠の受付は1回だけ、締切は4月23日、名前の変更は不可、フェリーの時間は往路は3行程、復路は4行程から希望を出す、希望者が多い場合は抽選、とのことでした。
往路の行程は、7月17日23:50鹿児島発、7月19日4:00奄美大島・名瀬発、7月19日23:50鹿児島発の3つです。
7月17日からだと東京に戻るまでの9日間をカメラマンと機材を確保しなくてはならず不可能、そこで19日の鹿児島発を選びました。
次にスタッフですが、カメラマンに相談したところ、7月に誰が行けるかなんて決められない、というのです。
確かに私たちだけの仕事をしているわけではないので当然のことです。もう一度諏訪瀬に、名前の変更の可能性があることを伝えなくてはなりません。そのやりとりをするだけなのに、電話もインターネットもなかなか通じないため、二日はかかってしまいました。
バンクーバー時間の4月22日が受付締切日。21日にコルテス島の撮影を終え、その夜バンクーバーのホテルからようやくメール連絡ができました。結局、現段階で出せるスタッフの名前4名で申し込むことにしました。
皆既日食の撮影をするためには、カメラが2台は必要だということになり、もし諏訪瀬に行けた場合は、奄美と諏訪瀬でそれぞれ1台ずつ、二班体制にすることになりました。

帰国後、諏訪瀬島で太陽と月のまつりを計画している井村純平さんとマンゴスチンのダイスケさんがオフィスを訪ねてくれ、もしガイアシンフォニーが諏訪瀬島で撮影することになった暁には、手伝いますと、有難いお言葉もいただいたのでした。
抽選待ちとはいえ、日食を通じて人の輪が広がってゆくことに、希望の光を見た思いでした。
e0038100_10584010.jpg

photo:お土産にいただいた「トカラーゼ」。トカラの野草をふんだんに使ったおいしいソースです。マンゴスチンオリジナルです。
[PR]
by yukari_ta-ra | 2009-06-27 11:00 | 地球交響曲 ガイアシンフォニー | Comments(0)

皆既日食を求めて4

3月。
私は、国立天文台の方を友人に紹介してもらい、コンタクトを取りました。こんな厳しい状況のなか、どこで皆既日食の記録をとるのか知りたかったのです。
そこで、和歌山大学の尾久土先生を紹介されました。
尾久土先生は、皆既日食をライブ中継するエキスパートです。当初、トカラ列島の中之島天文台からのライブ中継を考えたそうですが、やはりツアー客でないと上陸できないということから、奄美大島から中継することにしたとのことでした。
奄美大島は、全域で皆既日食が観測できるわけではなく、島のほぼ中央に皆既帯南限ラインが通っています。そのラインより南では皆既にはならず部分日食です。皆既日食の継続時間は3分前後と、諏訪瀬島や中之島の半分ですが、
「奄美ではだめですか?とてもいい観測場所があるんです。」と先生はおっしゃいます。
もし奄美で良ければ、ライブ中継にガイアシンフォニーの撮影スタッフが同道することは問題ない、今なら人数を増やすことはできるとのことでした。皆既日食ライブ中継は、阪急交通社と提携して今までも世界各地で行っており、今回も航空券の手配を一括して行ってもらえるといいます。

その頃、諏訪瀬島の青木さんや島民の方が、まだほかに上陸の方法はないか考えて下さっていましたが、私たち自身が諏訪瀬島での撮影に関してはこれ以上は成すべもなく、尾久土先生の言葉に甘え、とりあえずガイアシンフォニーのスタッフ6名を日食ライブ中継班に加えてもらうことにしました。
4月。
アンドルー・ワイル博士の撮影をアリゾナで終え、コルテス島へ移動した私たちのもとへ諏訪瀬島の方から連絡が入りました。それは十島村(としまむら)が島民枠の受付を始めることになり、親族だけではなく、友人たちも受付してくれることになったので、至急連絡を取りたいというものでした。
[PR]
by yukari_ta-ra | 2009-06-25 23:58 | 地球交響曲 ガイアシンフォニー | Comments(1)