2009年 09月 26日
7世代あとの子供たちのために
今日から50年前の、1959年9月26日、日本に上陸した伊勢湾台風が、治水を考えるきっかけを与え、日本中でダム建設構想が始まったと聞いています。
私が生まれるちょっと前のことなので、その時代がどういう時代だったかは想像がつきます。
伊勢湾台風では、5000人もの人が亡くなったそうです。そのうち、奈良県川上村では、鉄砲水が発生し、40名あまりが亡くなりました。
その時、二度とこんな大災害を起こさないと、治水を人間の力でコントロールしようとしたわけです。
どれだけの美しい村々がダムの底に沈んだことでしょう。
奥多摩の大河内ダムを取材したことがありますが、家がそのまま沈んでいると知ったときには、あまりにも無情なことに思考が停止してしまいました。
でも、移動を余儀なくさせられた人たちも、下流に住む人たちがそれで助かるのなら、自分たちが我慢することで、大災害を繰り返さないのならと、自らを納得させたことでしょう。
それがいつの間にやら、公共工事は利権者のエゴの餌食になってしまった。
もし、温暖化がどんどん進んで、大津波がやってきて、海抜の低い地域が、海に沈んだとき、
「災害から町を守るため、大堤防を作ろう」と思うことは浅はかな知恵であることは最早誰でもわかることでしょう。災害なんて、何が来るのかわからないのです。宇宙から大隕石が落ちてきて、大火事だって起きるかもしれない。隕石落ちてこないように、空に蓋をしますか?
アメリカ先住民のイロコイ連邦の人々のように「自分のエゴのために議論をするのではなく、7世代後の子孫にとって今この選択は、平和、安寧をもたらすのかどうかを見極める」という視点こそ、今最も求められていることでしょう。
50年経っても、いまだ出来上がらないダムなのに、「いまさらやめられない」、と突っ張る人々に、この言葉を送ります。
変えられないことを受容する落着き
変えられることを変える勇気
その二つの違いを見分ける賢さ(第七番のキーワード、でした)
八ツ場あしたの会
私が生まれるちょっと前のことなので、その時代がどういう時代だったかは想像がつきます。
伊勢湾台風では、5000人もの人が亡くなったそうです。そのうち、奈良県川上村では、鉄砲水が発生し、40名あまりが亡くなりました。
その時、二度とこんな大災害を起こさないと、治水を人間の力でコントロールしようとしたわけです。
どれだけの美しい村々がダムの底に沈んだことでしょう。
奥多摩の大河内ダムを取材したことがありますが、家がそのまま沈んでいると知ったときには、あまりにも無情なことに思考が停止してしまいました。
でも、移動を余儀なくさせられた人たちも、下流に住む人たちがそれで助かるのなら、自分たちが我慢することで、大災害を繰り返さないのならと、自らを納得させたことでしょう。
それがいつの間にやら、公共工事は利権者のエゴの餌食になってしまった。
もし、温暖化がどんどん進んで、大津波がやってきて、海抜の低い地域が、海に沈んだとき、
「災害から町を守るため、大堤防を作ろう」と思うことは浅はかな知恵であることは最早誰でもわかることでしょう。災害なんて、何が来るのかわからないのです。宇宙から大隕石が落ちてきて、大火事だって起きるかもしれない。隕石落ちてこないように、空に蓋をしますか?
アメリカ先住民のイロコイ連邦の人々のように「自分のエゴのために議論をするのではなく、7世代後の子孫にとって今この選択は、平和、安寧をもたらすのかどうかを見極める」という視点こそ、今最も求められていることでしょう。
50年経っても、いまだ出来上がらないダムなのに、「いまさらやめられない」、と突っ張る人々に、この言葉を送ります。
変えられないことを受容する落着き
変えられることを変える勇気
その二つの違いを見分ける賢さ(第七番のキーワード、でした)
八ツ場あしたの会
by yukari_ta-ra
| 2009-09-26 07:03
| 今日の想い