2009年 10月 06日
聖地チベット展に想う
今、上野の森美術館で、「聖地チベット ポタラ宮と天空の至宝」展が開催されています。この展覧会ではポタラ宮にあった仏像をはじめ、チベット密教の仏像が展示されています。
この古い仏像の中には、チベットの寺院で何百年も守られてきたものもあり、めったにお目にかかることのできない大変貴重なものばかりなのですが、この「聖地チベット展」を主催しているのはチベット亡命政府ではなく、日本でもなく、中国共産党です。
60年前中国共産党が生まれました。50年前チベットを侵略、制圧しましたが、
そのとき6000もあった寺院を破壊し、仏像も壊したり、奪いました。
本来はチベットの政治と宗教を司っていたポタラ宮も一度破壊されています。
しかし、諸外国からの非難もあり、ポタラ宮を復旧、ダライ・ラマ法王の宮殿を、観光施設にしていまい、チベットの人たちを遠ざけてしまいました。
私もチベット密教の仏像は、本などで見たことはあったものの実物を見たことはありませんでしたが、ブータンに行ったとき、数々の寺院で、生きた仏像や曼荼羅図に出会いました。大きなカーラチャクラの曼荼羅に出会ったときは、本当に感動しました。
寺院のどんなところに描かれ、仏像がどんなふうに祀られているか、それが何のためなのか肌で感じたのです。
カーラチャクラ(時輪)曼荼羅は、寺院の入口に。
仏像は、慈悲の心を姿にあらわしたものです。チベットの場合は、慈悲というのは、決して柔和なお顔ばかりではなく、悪の心を打ち砕く憤怒のお顔をした仏像もあります。それらは精神性の形成を担うものです。
寺院の中はすべて撮影禁止ですので、千手観音や十一面観音などをお伝えできないのが残念ですが、
どれも本当に素晴らしいものでした。仏像を目の前にしたとき、自然と五体投地をしたくなり、昨年覚えた五体投地で祈りを捧げました。
断崖絶壁にそびえるタクツアン寺院では、なかでしばし瞑想をさせていただきながら、お参りの人たちを迎えさせていただいたのですが、ブータン人たちは、中に入ってくると皆、五体投地をしています。
タクツァン僧院の少年僧と。
そうなのです、仏像は展示して見世物にするものではないのです。
このことを理解したとき、チベット展で行なわれていることがいかに非道であるか悟ったのです。
この展覧会は、中国共産党が、チベットの文化を手厚く保護していることを対外的に示すことが目的であり、チベットの中で壊された仏像はいまだそのまま放置されています。この矛盾をぜひ展覧会を訪れる人に理解してほしいと思うのです。
魂のない仏像を展覧会で見ても、何も得られません。ただ「見た、すごかった」という満足感が得られるだけです。チベットのお坊さんは、それでも「仏像に出会っていただくだけでその人の功徳につながります」とおっしゃいます。もしかしたら出会ったことで、チベットに関心を深く抱いてくださる方もあるかもしれません。
もし、チベットについて関心を持ったのなら、その力をチベットの人たちが真に自由に生きられるよう手助けをしていただきたいと思うのです。
真の理解につながるよう、署名活動を始めました。この署名活動の詳細はまたお知らせします。
ブータンの若者たちが仏師を目指して修行中。
この古い仏像の中には、チベットの寺院で何百年も守られてきたものもあり、めったにお目にかかることのできない大変貴重なものばかりなのですが、この「聖地チベット展」を主催しているのはチベット亡命政府ではなく、日本でもなく、中国共産党です。
60年前中国共産党が生まれました。50年前チベットを侵略、制圧しましたが、
そのとき6000もあった寺院を破壊し、仏像も壊したり、奪いました。
本来はチベットの政治と宗教を司っていたポタラ宮も一度破壊されています。
しかし、諸外国からの非難もあり、ポタラ宮を復旧、ダライ・ラマ法王の宮殿を、観光施設にしていまい、チベットの人たちを遠ざけてしまいました。
私もチベット密教の仏像は、本などで見たことはあったものの実物を見たことはありませんでしたが、ブータンに行ったとき、数々の寺院で、生きた仏像や曼荼羅図に出会いました。大きなカーラチャクラの曼荼羅に出会ったときは、本当に感動しました。
寺院のどんなところに描かれ、仏像がどんなふうに祀られているか、それが何のためなのか肌で感じたのです。
仏像は、慈悲の心を姿にあらわしたものです。チベットの場合は、慈悲というのは、決して柔和なお顔ばかりではなく、悪の心を打ち砕く憤怒のお顔をした仏像もあります。それらは精神性の形成を担うものです。
寺院の中はすべて撮影禁止ですので、千手観音や十一面観音などをお伝えできないのが残念ですが、
どれも本当に素晴らしいものでした。仏像を目の前にしたとき、自然と五体投地をしたくなり、昨年覚えた五体投地で祈りを捧げました。
断崖絶壁にそびえるタクツアン寺院では、なかでしばし瞑想をさせていただきながら、お参りの人たちを迎えさせていただいたのですが、ブータン人たちは、中に入ってくると皆、五体投地をしています。
そうなのです、仏像は展示して見世物にするものではないのです。
このことを理解したとき、チベット展で行なわれていることがいかに非道であるか悟ったのです。
この展覧会は、中国共産党が、チベットの文化を手厚く保護していることを対外的に示すことが目的であり、チベットの中で壊された仏像はいまだそのまま放置されています。この矛盾をぜひ展覧会を訪れる人に理解してほしいと思うのです。
魂のない仏像を展覧会で見ても、何も得られません。ただ「見た、すごかった」という満足感が得られるだけです。チベットのお坊さんは、それでも「仏像に出会っていただくだけでその人の功徳につながります」とおっしゃいます。もしかしたら出会ったことで、チベットに関心を深く抱いてくださる方もあるかもしれません。
もし、チベットについて関心を持ったのなら、その力をチベットの人たちが真に自由に生きられるよう手助けをしていただきたいと思うのです。
真の理解につながるよう、署名活動を始めました。この署名活動の詳細はまたお知らせします。
by yukari_ta-ra
| 2009-10-06 06:13
| 今日の想い